公認心理師の日常の疑問「選べるのは幸せか??」

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仕事で電話番号の記載を求められることが多くなったけど、プライベートな電話番号は公開したくないので…。新しいスマホを持つことにしたんです…。そこから悩みの種が始まりました。

キャリア(通信事業者)を決める

 新しく仕事用にスマホを購入しようと思うが、経費を増やしたくないのでとにかく維持費がかからない、もしくは安いものをということになる。そんなわけで格安スマホを選ぶことにする。待ち受けが基本のスマホなのでRakutenモバイルの基本料金0円が一番安い。キャリアはあっさり決まった。

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他に選択肢がないのかぁ…。「つまらないなぁ」なんて思ってたんです、この時は。

機種を決める

 さて、機種は何にするかということになる。iPhone・アンドロイド・Rakutenモバイルと大きく三つのカテゴリーがある。そして、それぞれにさらに何種類もの機種が存在する。こうなってくると、徹底的に調べたくなるのが私の性分である。今回は「徹底的に調べたくなる性分」ここに注目してみた。

私たちは選べる

 私たちには、選択の自由がある。今回はスマートフォンであるが、身の回りの事であれば、着るものや食べるもの、乗る車や交通手段など、そして人生に関わる大きなことでは、職業にしても、結婚相手にしても、選べるのである。遠い昔は、生まれながらに身分があり職業が決められ、その身分相応の服装をして、家のために結婚が決められた。決められているということは、いかにも窮屈である。今では、職業選択の自由や結婚の自由、さらに進めば性別すらも自分に合うものを選択できるようになってきた。選べない社会から選ぶことができる社会になったのだ。

選べることって

 選べると聞けば、なんとなく良いことのように思う。選べないよりも選べた方が良い。今のようなインターネットでいろいろな情報を集めることができるようになる一つ前の世代までは、選べることに幸せを感じていたのではないだろうか。私は通っている学校で身分を気にせずに、恋愛対象の相手を選ぶことができる(その人に選ばれるかは別問題である)。地域に生活する中で必要とされる職業を自分が選ぶことができる(こちらも採用されるかは別であるが)。そして、衣類や食品も、お店に行って好みで購入できる。選べなかった時代に比べて、なんとも幸せではないか。

選べ過ぎてしまう?!

 インターネットの普及と輸送手段の多様化、産業の変化により、私たちの社会は選べ過ぎてしまう時代が来ている。例えば、先ほどのスマホを一つ買うのにも、ホームページにはiPhoneで9種類、Rakutenオリジナルで3種類、アンドロイドで11種類が掲載されている。23種類あるが、そこにはさらにカラーもあれば、新機種を購入しなくても、他のキャリアで使っていたものを利用できるのだ。こうなってくると迷うのだ。さて、あなたはどう決める?自分の優先順位はなんだろう?iPhoneは嫌だ、などの大きなカテゴリ―から削ることができる。私はいつも細部にこだわった結果、結果的に時間を浪費した挙句に一番重要なことを忘れてしまい選択するという失敗をよくしてしまう。例えば、カメラの性能が良いものを選ぼうと思いながら、選んでいくうちに電子マネーが使えた方が良い、待ち受け時間が長いほうが良いとなっていくと、いつの間にかカメラの性能はたいして高くないものを選択していたりする。

 何度も同じ画面を見ながら、どちらがいいのか?どの色がいいのか?「よし、これに決めた」と思った後で、本当にこれでいいのか?支払い方は何がお得なんだろう…と考えるうちに疲れてしまう。決まったものを購入段階になって「在庫なし」の表記にがっくりしてしまう。購入者のコメントや評価を見だすと、もう決められない負の連鎖になり、先送りをすることで自分を納得させる。そして翌日になるとまた同じことをしている自分がいるのだ。

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自由に選べるって疲れる。めんどくさい。調べれば調べるほどに決め手がない…。選択肢がないって実はよかったのでは?

自由につく代償

 選択肢が増えることと、それに対処できるかどうかは、まったく別の問題なのだ。複雑で難しい選択は、多くの代償を伴うので、人を自由にするよりも逆の効果を与える。「選択があること」が「選択が多すぎること」になってしまう。まさに、このどのスマホを選ぶのかということにも言える。自由には高い代償がつきものだというのは、アメリカの心理学者シュワルツである。選択には犠牲が伴い、犠牲は決定を下すプロセスの中で払われる。選択肢や自由が広がると、3つの問題が引き起こされる。

  • 情報の問題…選択肢全てに関する全ての情報を得ることが難しくなる。
  • エラーの問題…複雑な選択肢が増えると、判断を誤りがちになる。
  • 心理的な問題…選択肢が増えれば、頭を悩ませ、心理的なウェルビーイングにつながらないどころか、実際には正反対の結果である、幸福感の減少が起こる。
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私の、スマホ選択で感じたことがここに全てあるようです…自由に選べる代償かぁ。納得!

 「選択肢が増えすぎると、選ばれなくなる。」ということも起こるそうだ。実際に2000年に行われた実験で、試食して気に入ったジャムを購入するように言われた際に、6種類を試食したグループの30%が購入したのに対し、24種類の試食をしたグループでジャムを購入したのは3%だったそうだ。

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私も、購入しようと決めてから2週間ほど、実際に購入するまでかかりました。途中何度も、やっぱりいらないかなぁと考えたのも確かです。

選択肢が増えるほどに同じものを買う?

 さらに、選択肢が増えると、十分な情報を得たうえで決めることが、ほぼ不可能になるそうだ。そんなわけでコマーシャルや口コミの奴隷になると言われている。選択肢が増えることが標準化と手を取り合って進むとは、なんだか矛盾だらけのようで、起こりうる反応なのだ。確かに…私も他の人が選ぶものを選びがちです。

選択における2つの対応

 何かを決断するときに、私たちは大きく二つのグループに分かれるそうです。一つ目は、自分の要求を満たすために程よいものを選ぶ人たちで、自分の持つ基準をクリアできた時点で選ぶのをやめる人で「サティスファイサー」と呼ばれる。一方、最も良い条件のものを選ばないと気が済まず、考えられるあらゆる選択肢をすべて検討しようとする人を「マキシマイザー」と呼ぶ。選択肢が多すぎることはマキシマイザーにとっては大問題なのだ。

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あぁ、こういわれると、私はまさにマキシマイザーですね。

マキシマイザーの悲劇

 最大限に良いものを求めることへの代償は高くなっていく。ベストなものを選ぶためにはそれに見合った対価を支払わなければならない。

比例して増加するもの比例して減少するもの
後悔
完璧主義
落ち込み
「もっといい」人との比較
神経症的傾向
幸福感
楽観主義
人生の満足度
自尊心

ちなみに…

 マキシマイザーの方が初任給の平均は高いそうです。それも年間7000ドルなので、日本円(単純に1ドル100円として)では70万円も。ところが、仕事への満足度はサティスファイサーの方が高いそうです。多くを求めれば求めるほど、満足度は得られずに、多大な代償を払うことになるという。

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思い当たることが結構ある…涙 どうしたらいいの?

「足るを知る者は富む」

 スマホを決めるためにいろいろと考えてきたわけだが、楽しいはずの新しい選択もこうやってみると幸福感は確かに低い。では、どう対処したらよいのか。それは一言でいえば日本に古来より言われてきた「足るを知る者は富む」ということだ。

「足るを知る者は富む」

意味:足るを知る者は富むとは、満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福であるということ。

 故事ことわざ辞典(http://kotowaza-allguide.com/

 私は、まさにサティスファイサーのことを説明しているように思う。そのために私たちは最低限度の条件を満たしたものを受け入れ「ほどよい」もので満足できるように訓練することができる。

  • 今あるものに満足し、すでに手にしている恩恵に感謝する。
  • 他者との比較をやめ自分の基準を持つ。
  • 選択するべきかどうかを、選択する。どの場合は選択する必要があるかを考える。
  • 一度決めたら、心変わりしない。
  • 制約を天の恵みと考える。

目指せ、サティスファイサー!

参考文献 ポジティブ心理学が1冊でわかる本 イローナ・ボニウェル著 成瀬まゆみ監訳

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  1. […] […]

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